春画
師が師なら顔は顔なり一進法
一進法生きてるかぎりどこまでも
一神教が二進法だからだからと
多神教が一進法だとは言えない
肉食系女子が春画をプロポーズ
若い女性による女性のための春画展
春画展の女とホストクラブのホスト
報告から穿ちへ春画ゆきだおれ
批判を忘れ末摘花になるばかり
死んだ後で私の脳の重さ大きさ
一進法生きてるかぎりどこまでも
一神教が二進法だからだからと
多神教が一進法だとは言えない
肉食系女子が春画をプロポーズ
若い女性による女性のための春画展
春画展の女とホストクラブのホスト
報告から穿ちへ春画ゆきだおれ
批判を忘れ末摘花になるばかり
死んだ後で私の脳の重さ大きさ
この記事に対するコメント
もう男に夢を託すって時代じゃないのかも。女だから、と遠慮はいらないということをみんな知りました。
気分の赴くままに歩いて行くのです。たまたまいっしょに行くという人が
いればどうぞご一緒に。春画展いいですね。
覚悟の出来ている人は言葉も視線もすっきりしているなあ。
漂うように生きていたころ、人の目ばかり気にしてバカみたいだったと思う。
誕生日、結婚記念日、告白の日まで覚えていて花を買ってくれる
人が優しいと思い込んでいたりして、ホントにバカみたい。
行動でもない、言葉でもない見えないものを信じているのは強い。
親が親なら・・遠巻きにして穴を覗く。
また落ちてしまった。やっぱりね、しょうがないねえ、
引き上げようと手を伸ばす人はいないのだ。
なぜか同じ考え方をしてしまうのは、雨に濡れたくないのと同じ気持ち。
どなたもお面のようにのっぺり。見えてはいるけど別の世界にいる。
物言えば・・十倍くらい叩かれてマスコミは数日賑やか。
世の中を良くしたい人の手足は重くなるばかり。
この国が民主主義国家だと言い切れないように。
一つの言葉で表すのは無理なんだと思う。
物事には必ず「例外」というものがあり、説明がつかなくなってくるものだ。
仕方ないので「それはそれとして」とか「一部は神様の仕事で」とか苦しい言い訳。
いやホントかも知れない。
駅前で待っていた男装の麗人(でなくてもいいが)、待ち人が現れると
すっと近づいてやさしく肩を抱く。今日は美術館ですね、お供します。
女性ならではの安心感、ふんわり感に包まれ楽しい一日を過ごして駅前で別れる。どこかで見たか聞いたかの優しい風景。
それもみな誰かの利益につながるようになっているのかも。
はみ出すことは許さない、余所見は許さない、勝手は許さない
そんなところには雑草も生えないだろう。 春だというのに・・・
ウグイスが鳴き始めたらしい。私はまだ聞いてないが・・・すぐに
ホーホケキョと鳴けるようになるだろう。
成長を自分で感じつつ鳴けるのはうらやましいかぎり。
誰かに評価してもらわなければ不安である私に「春画ゆきだおれ」の
言葉はきりきり痛い。
絵を描く人が残した言葉。「お金を残すよりもやのようなものであれ色や言葉を残した方が人間らしい」。
もうご本人も亡くなったのだが、彼の絵は今も語り続けている。
これだけの質量を残すこと自体の重さはたいしたものだと思う
春めいて・・女性も野性に目覚めましたかね。
海外へも一人で、群れることをしなくなった女性もいる。
颯爽と歩くにはそれなりの覚悟も出来ているのでしょう。生きたという感覚を常に感じていたいのだとか。さすがです。
プロポーズも女性からという時代になるでしょう。男性へとは限りません。